東京から農業が消えた日


NO,005

■ 東京から農業が消えた日



東京から農業が消えた日
著者:薄井 清
出版:株式会社 草思社

昭和25年全国の農家総数は617万6000戸あったのが、平成10年には252万8000戸、
専業農家に至っては43万4000戸。約50年間で半数以上の農家がどのようにして消えた
のか?「農業改良普及員」として現場でつぶさにその実態を見続けた著者の生々しい記録
である。

敗戦後、GHQのもと小作民解放事業から始まり、高度成長期の農業の近代化を目指した
昭和36年「基本法農政」、その中で農家収入拡大を狙った「農業構造改善事業」の失敗と
農産物自由化に伴った、昭和47年の減反政策「総合農政」さらにこれからの日本の食と
農業はどうあるべきかを示した平成10年の「農業基本法」の中で確実に農家は減少し、後継
者はいなくなっている。その時々で世情の変化を受け行政の施策は、実施されていくが、その
度に農家は右往左往する。

高度成長期の日本は所得倍増計画の元、農家も同様に所得倍増する為にはどうしたら良いか
という考えで始まったのが「農業構造改善事業」である。5戸以上の農家集団が2500万円の
借金を負い7500万円の補助金を得て、総額1億円の設備投資をする。20年間継続する事で
7500万円は、自分のものとなる。なにやら打手の小槌のような話だが、結果は単独生産という
ダブルセーフティーといった危機管理の無い経営と辻褄合わせの事業計画で大半は頓挫し、
2500万円の借金のカタに土地は奪われる。
農家の所得倍増という謳い文句が結果的には、農薬や農機具といった農業周辺産業の育成と
列島改造という土地価格の沸騰と農家の減少という結果に終わる。もし、これが本来の目的で
あれば戦後日本は、農家の犠牲により内需拡大を果たせた事になる。

また、対外輸出黒字摩擦と農産物自由化を受けた「総合農政」は生産調整を行った農家には、
援助金を出すという政策である。いわゆる「惰農奨励金」と工業経営手法をそのまま持ち込んだ
「減反政策」は農地の荒廃化をもたらした。ここでさらに離農への拍車が係る。そして、長年先祖
達が耕したその土地の地勢を考慮した細かな農地を大きく括る事により、機械耕作による省人
件費化を可能とした農地整備が実現するという皮肉な結果となった。

さらに、自給率を高めつつ農作物自由化を果たすというまったく矛盾した農政が「農業基本法」で
ある。生産農家とその土地が減少しつつある中で自給率を高めるには、食べ残しを止める事に
より自給率を25%アップ出来るというのがその政策(?)である。

かくして、東京から農業は消え日本中からも農業は消えていく。
「信念の無いグランドデザイン」がどのような結果を生むか?
その答えは今の日本の農業であろう。








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空の写真 今月の本(2003)
面白かった本などを紹介します。
2003年に読んだ本の中からの紹介です。