漂海民バジャウの物語

NO,025

■ 漂海民バジャウの物語

12月

著者:ハリー・アルロ・ニモ
訳者:西 重人
出版:株式会社 現代書館

「無量庵水の巻」にも書いている事だが、かつて七つの民族が南から北から
西からと海を越え太平洋の端、大陸から数日掛けて到達する複数の島が連な
る土地に辿り着き、長い時間が経過して今の日本人になったと思っている。
その日本人のUKIは、どうやら西南から来た海洋民族の血を濃く受け継い
でいると信じているのであるが、そのルーツとも言うべき南フィリピンの海
で家舟という住まいを持ち一生を海の上で過ごす民族「バジャウ」について
書き記したのがこの本である。

著者は人類学の博士、当時数少ない未調査の民族を調べる事で修士課程論文
を作成しようと思い、第二次世界大戦が終了して20年アメリカ統治が終了
した東南アジアの端にやって来た事から物語は始まる。

この本を読もうと思ったきっかけが、前述の我がルーツと思われる民族につ
いて詳しく知りたい。人類学者が書いた本であればその思いは満たしてくれ
るだろうとの事だったのだが、結果としてふたつの意味でその思いは大きく
裏切られる事となった。
ひとつは「バジャウ」について余り詳しく知る事が出来なかった事である。
魚を追って生活をする事やおおらかでいい加減な所、全てに精霊が宿り巫女
が日々のカウンセリングを行う事など我がルーツに照らして大変納得出来る
事などは実感を持ってよくわかったが、この内容は人類学としては入門編と
も言うべきいわゆる「触り」で終わってしまった。
もうひとつはかなり硬い内容かと思いきや、とてつもなく無く面白い紀行文
だった事である。この点では良い意味で裏切られた本である。

物語は、ここで出会った人々の話15の小編から成り立っている。
既に他界した母方の祖母を思い起こしてしまった、頑固で口は悪いが力強く
て優しい巫女のばあさんの話。
ライフルをぶっ放す趣味を持つ医者でありシスターでもある女性の話。
戦時下日本軍の粛清で家族を失い、一人異民族の中で生き抜き金しか信じる
事が出来ない孤独な中国人の話。
慈善事業で多額の援助をのふれこみでボランティアで行い、奥地に出掛ける
行動力を持つものの、恍惚の人として政府にも認知された架空の話を持ちか
けるアメリカ老婦人。
英雄にして密輸入者、社会奉仕者にして殺人者、革命家にしてハジ、悲惨な
最後を遂げる事で伝説の人となった海賊の話。などなど・・・
個性豊かで生きる事に自己の信念を押し通した人々が数多く登場する。

著者の力か翻訳者の才能か、その語り口は大変読みやすくユーモアに富み、
また情景が浮かんできて一気に読めてしまう硬苦しくない物語である。
こんな教授に人類学の手ほどきを受けたらなら、きっと学問のとりことなる
であろう。

著者が誰にも邪魔されずに論文作成に没頭したい時、船外機のついた船で、
無人島に食料と水とタイプライターを持ち込む。そこには漁民の休憩小屋が
ある。誰にも邪魔されず早朝からタイプライターに向かい、気が付くと陽は
西に傾き、波の音と鳥のさえずりしか聞こえない。陽が沈み闇があたりを覆
う頃、海の彼方に満月が浮かびその明かりで遠くの島影がぼんやりわかる。
充実した一日を心地良い疲労感と共に横になる事で眠りに誘われていく。
こんな書斎を最上の楽園だと感じるのは、けっして私だけでは無いと思う。

ちなみに水上のコテージを設け船で暮らす少数民族「バジャウ」は、大戦の
おかげで新たに設定された国境で分断されてしまった。昔から国と国とを分
ける線など無い時代より、自由に海洋を行き来していた彼ら。
今まで自由に種族内で行っていた交易がある日突然、密輸入となってしまう。
これが到底理解出来ない彼らはフィリピン政府の弾圧から一部の者が海賊と
なって行く。また、当時の政府の方針から少数民族に対する同一化と近代化
で綺麗な海と昔からの風習は失われてしまった。
現在の「バジャウ」はこの本にある世界とは異なってしまった。と20年後
に彼の地を訪れた著者は、最後に綴っている。
今は無い世界の話である。

ところで、この本を題材にして映画の2本や3本出来るのでないか?
どなたか映画作ろうという方いないのだろうか?
映画になったら間違いなくUKIは見に行く。















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面白かった本などを紹介します。
2004年に読んだ本の中からの紹介です。