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NO,001 |
■ 寿司屋に聞くな!寿司屋も寿司屋だ!!
■UKIがよく中華街で宴会をやる仲間がいる。いつも8時間以上飲んで語る仲間である。
よくそんなに話題があるものだと思うがいつも話題に尽きない。いつとは無しに自然にそんな仲間
が集まって来たのであるが、誰でもその会に溶け込めるかというと、そうでも無い。
大抵は、普段食べられないであろう一風変った中華料理が食べられるという事で期待して来るが、
その次も来る人は大体2割くらいである。残りの8割は、8時間以上も延々と続く会話に付いてこれない
らしい。では、性懲りも無く参加が続いている人とは何であるか?共通点はあるのだろうかと考えると
これが実はあったのである。
■それは何か?
@ 自己顕示欲が大変強い
みんないかに話題を自分の方に持ってこようかと虎視耽々としている。結果会話が途絶えない。
お酒が廻るとそのうち、人の話を聞かないで各々が勝手な事を言っている事に気が付く事もあるが
ん〜な事は知ったものか〜てな感じである。
A トラウマがある
誰だってトラウマのひとつやふたつはある。がこの連中は違う。どう違うかというと些細なトラウマ
だろうが深刻なトラウマだろうが、臆する事無く自分の世界を語るのである。かつ落ちがある。
トラウマを自分の物にしてしまうのである。
■この感覚は普通の人にはついていけない世界らしい。が世の中広いようで狭いもので不思議とそんな
人間が集まってしまう。最もそんなのしか残らないと言った方が適切かもしれない。
で、今回はそんなトラウマに纏わる「心に沁みるお言葉」である。
■人間思春期にあたり、世の中の色々な事を知っていく。その中には理解出来ない事や理不尽な事を
知る事もある。それを乗り越え人は大人となっていくのである。が、不幸にしてそれを乗り越えられない
場合もある。結果どうなるか?グレるのである。不良となるのである。これを反抗期という。
40代の方はその殆どが小学校の国語の時間で井伏鱒二の「山椒魚」を教科書で知る。
実はその「山椒魚」こそグレるかどうかの試金石としての重要なテキストでもあるのである。
■何かというとそのくだりの中で卵を抱えた蝦が出てくる。「山椒魚」では「その卵を抱えた彼は・」
と来るのである。大抵は良く勉強が出来る生徒はここで質問するらしい。
「センセ〜、卵を抱えた蝦がなぜ彼なんですか?」センセ〜答えられない。
ここで生徒はこのセンセ〜大した事ないじゃんと思ってしまう。また、センセ〜無駄な努力であるが
「そのほうが響きが良いでしょ!文学的表現なのです」と訳の分からん説明をする。
ここで生徒はこの先生とはコミュニケーションが取れんとなる。また気の短いセンセ〜は、しつこい
生徒のおかげでこの先授業が進まないと困るので「そんな些細な事に拘るな!」と怒るとこれは、
学級崩壊にもなり兼ねない。
かくしてこの事でトラウマとなった人間はかなりいるらしいのである。
■ところで、そんな事に全然気が付かない程教科書を斜め読みするUKIは、そんな質問も出ない平坦
な学校環境にも救われすくすくと成長し、中年となって何故か井伏鱒二の本に嵌ったのである。
最近、タイトルもずばり「井伏鱒二」という本に出会った。
多くの著名な小説家が井伏鱒二を語る評論本である。例えば温泉に行ったら自分の病気に関する効能
が3つもあるのを見つけた時、または釣りをしていて魚が釣れて、その釣り糸に魚以外に何かが絡ん
でいた。引き上げたらなんと、誰かが間違って海に落した釣り竿が上がって来て、その竿が自分の竿
よりも高い竿だった時。要は大変得した気分になる本に巡り合ったのである。
その中に井伏鱒二センセ〜の対談がある。話題は最大の失敗は何んですか?という質問に対して、
その「山椒魚」の蝦の話題となっていた。センセ〜読者からよく質問が来て窮していたらしい。
井伏鱒二センセ〜も実は書きながら気にはなっていたらしい。雌雄同体と思っていたらしいのである。
で寿司屋のおやじに蝦は雄と雌が別かと聞いたら「さあ、わからない」との答えだったので当時は
「彼」は一般的に使う言葉だが「彼女」はあまり一般的な言葉では無かったのでいいかぁ〜となったらしい。
■さて、この話を聞いた私の知人はやはり「山椒魚」で人間関係躓いた人であった。
彼女は約2秒間の沈黙の後発した言葉が、「寿司屋に聞くな!寿司屋も寿司屋だ!!」である。
その沈黙の2秒間、彼女の脳裏には小学校時代の教室の風景やセンセ〜の顔、納得出来ない自分の姿
がぐるんぐるんと音を立てて廻っていたのであろう。
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