サイトを開いて1年半、他人のサイトに行った時その人なりを知りたく、よく「自己紹介」のページを開いている自分に気が付く。
さらに自分のサイトに自己紹介ページが無い事にも気が付く。
本来は、「食の原点」に主軸を置いた同様の思いの人々の交流サイトという事で自己紹介はいらないと考えていましたが、最近自己紹介の無いサイトは胡散臭いなぁと感じるようになり、だったら「無量庵」なんて最も胡散臭いだろと感じ、遅ればせながら作って見ました。
でも、自己紹介の内容を見たらもっと胡散臭かったりして・・たは。
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目次


■ 生い立ち

■ 食に関する人格形成

■ 学生時代

■ 職歴その1

■ 職歴その2

■ 職歴その3

■ 家族構成と住まい

■ トラウマについて

■ サイトを開いた経緯


















■生い立ち



昭和33年5月7日伊豆の伊東市に生まれる。六白金星 牡牛座 A型
昔は、母親の実家でお産婆さん(今は助産婦という。「お産婆さん」は差別用語
であるらしい。でも、私にとってお産婆さん=安産というイメージがあるのだが)
のもとで出産をする事が多いらしく、母の生まれた地が伊東市であった。
住まいは、東京都のハズレ足立区。結婚するまでの27年間を同地で過ごす。
現在は、横浜のハズレ鶴見区に住まう。


                                         
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■食に関する人格形成



母方では初孫だったので、親戚中からチヤホヤされて育つ。父方も母方も喰らう
事を最も大切に考える家訓?を持つ家系に生まれた事もあり、幼い頃から親戚中
の方々にこれでもかという程、美味しいものを食べさせられた。
特に、伊東は魚の美味い地である。魚は沢山食べました。あまり養殖物が出回る
以前の事である。必然的に天然物の魚の味は体に刷り込まれている。
寿司屋に行っても、大抵の魚は、天然か養殖か食べてみて区別が付く。この点に
ついては、親戚の方々には大変感謝をしています。


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■学生時代


早く世に出て働きたかった。また音楽と映画が大好きであった。
高校時代に今で言うインディーズの走りではないが、アマチュアバンドを集めて
コンサートを開く。結構人は集まり、東京都の高校生の交流の場として拡がって
いく。が、教育委員会から学生の交流は学生運動に繋がるとの事で禁止される。
(今では信じられないような話でしょうが・・・・)
また、ミキシングディレクターになろうかとも考えていたが、当時のミキサーは
よく故障し、その時はハンダこてを持って格闘しなければならない。電気物は、
小学生の頃扇風機のプラグをコンセントに挿す際に間違えて、自分の中指と人指
し指の2本を挿して以来嫌いである。
ところで、父は、一級建築士である。お前は絵を描く才能があるので、建築士に
なれと大学進学を迫るが、高校二年生ですでに数学の才能の無い事に気が付く。
設計は構造計算が必須である。これがまったくと言って良い程わからん!
で、映画学校に進学する。ちょっと自慢であるが在学中に雑誌「ぴあ」にも紹介
されビデオクリップの走りとなるような映像を作ってました。


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■職歴その1


映画の世界に入りたくて、大手製作・配給会社の子会社に入社する。
が、ここが日本の伝統を守る歌舞伎を運営している会社だと入社後知る。
で、お前は王道の歌舞伎をやれとばかり歌舞伎の世界に入る。担当は衣装である。
ここの一年間はそれなりに面白かったが、13ケ月無休の巡業の後3ケ月の欧州
巡業があると聞かされ、このままじゃ一生歌舞伎の世界で過ごす事になりそうだ
と思い、退社する。
ここで学んだ事は、歌舞伎の魅力と衣装付けである。おまけに裁縫とアイロンは
今でも自慢である。


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■職歴その2


当時あまり有名では無かった「かもめマーク」の出版会社に入社する。
ここの5年間は、お金払ってでも体験したいと思う程自分自身もキャリアアップ
出来ました。おまけに仕事はきつかったが、給料はとっても良く申し分無い環境
だったが、映像の世界に未練が有り、またこのきつさだと40歳になったら死ぬ
なぁと考え、今の仕事に変わる。
この会社は退職者が多く、この会社公認のOB・OGが自主運営するサークル会
が存在する。世に言う異業種交流会である。
メンバーは国会議員からスポーツ選手・はたまた上場企業の役員まで様々な人が
いる。今ではここの世話人をさせて頂きながら公私の人脈作りには役立ってます。


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■職歴その3


現在の会社に至る。
映像音響機器を使用したコミュニケーションサービスを提供する会社である。
具体的には、設備の設計・施工・保守・イベント用機器のレンタル・オペレート
を行う会社である。もちろんコンテンツからプロデュースも行う。
最近は、送出素材はコンピュータのデジタルデータが多く、フィルムからテープ
そしてHDDとこの世界にいると浦島太郎の気分が味わえます。
設計の世界を嫌ったのに図面に向かう事が多く、また施工では電気にも触れる。
不思議な縁である。


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■家族構成と住まい


妻・猫の三人家族?である。
妻もサイトを立上げており(妻のサイトに刺激され私も始めました)このサイト
は、年間アクセス10万件を超えるオバケサイトである。で、「無量庵」はと言うと
カウンター付けるのが嫌いだったので多分推定年間2万件程か?
妻とは「かもめマーク」の会社で知り合い同じ職場だった事もあり、当時の互いの
キャリアをフル活用して現在の住まいを手に入れる。
どうしたかというと建設途中のマンションと思しき現場事務所に突然乱入し、建築
図面を見せてもらい気にいった部屋があったら、施主を紹介してもらい販売前に
予約するんである。で、手に入れたのが20坪のルーフバルコニーが付いていた
今の住まいである。


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■トラウマについて


誰でもトラウマはあるものである。
幼稚園・小学校・中学校・高校・専門学校とその度毎に学友が去っていく。
去っていくというより自分が新しい学区や学校に行くので引き続いて同じ学び屋
で学ぶ友人がいないというのが正解だが、死も含めて、いつしか人は去っていく
ものだという刷り込みというか寂しさが心の中には付きまとっている。
しかし、逆に考えるといつかは去っていく人だから、一緒にいる時くらい精一杯
真剣に付き合おうという気持ちが沸いてきます。
後悔しない人生・一期一会という言葉は好きですね。


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■サイトを開いた経緯


食べる・寝る・遊ぶを心情としている私にとって、生業では無い人との繋がりや
老後の事を考えると今から仕事以外にやっておく事が大切だなぁと思い、始める。
最も基本的な事である食が、今の日本では大変混乱していると感じています。
これをまず勉強しなくてはと思い、「知る努力と自己責任」の為に実践しようと
また、同様に感じている方との交流が出来ればと思い、サイトを開いています。
詳しくは、サイト内のコンテンツを見て頂きながら感じ取って頂ければ幸いです。
また、ご意見・質問・ご紹介等あったらメール下さい。待ってます。


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