NO,010

■ 戦国の村を行く

4月

著者:藤木 久志
出版:朝日新聞社

最近、とても気になる事がある。
イラクがアメリカを中心とした攻撃を受けて政府が崩壊した後、覇権を賭けてテロが
横行している。また、地震後の東南アジアでは、人さらいが横行している。
秩序が崩壊したら、雨後の筍のようにムクムクじわじわとやったものが勝ちというような
何でも有りといった状況が続いている。
人間とは、本質的にやったものが勝ちという思いがどこでもあるのだろうか?
こんな事がとても気になっている。
そんな気持ちを持つ人々がやっぱり日本でもいたんだと感じる本に出会った。
戦国時代の主に関西の村々に残る古文書を紐解きながら、そんな、なんでも有りと
いった状況が戦国時代の日本にもあった事を伝える。それが本書である。

律令制度が形骸化し、有力者の保護の元、国司と荘園主の狭間で自活する術を身に
付けた農民は、戦国の世の中で戦国大名と同等に渡り合う。そんな光景が展開する。
国主が変われば前国主からの借金は棒引きにする。あわよくば事前のその国を狙う
新国主からの借金もドサクサに紛れて棒引きにしようとする。
また、落ち武者狩りと称し敗戦した武士を取り囲んで身包みを剥ぐ。略奪に参加し
盗賊のごとく、また時には人さらいも行う。部落問題は実は戦国時代略奪にあった
村々のさらわれた人々がその中核の一部を担っているのかもしれない。
いわゆる汚れ仕事を担当する事となった人々は、この時期連れてこられた人々が、
強制的に従事させられ、その後、徳川時代に固定されて現在至っているのではなか
ろうか?

人間生きる為には、必死となり、秩序が不在となるとなんでも有りとなる。
この時代の大名は、なかなか苦労が多かったようである。
「葉隠れ」が持てはやされた時代は、ある意味でそれが理想(現実は違う)だった
からという事もある。負けたら落ち武者狩りにあう。また国人一揆という人民革命
もある。国を守る義務として土地問題・水問題を捌く技量も要求される。時として
お忍びで温泉に保養に行ったら、農民が押し寄せて調停に時間が掛かっている事案
に対してその場で結論を出すよう強要される。もちろんノーアポである。
こんな時も、即座に皆が納得する裁きを戦国大名はしなければならない。やれやれ
である。

ちなみに、この時期世界制覇を目指して力による布教と征服で多くの国がスペイン
やポルトガルの植民地となった。現在でも母国語が消え、スペイン語・ポルトガル
語を喋る国々は多い。その中で何故日本を植民地化出来なかったのか?
日本に派遣されたポルトガルの担当派閥の方針にもよるのだろうが、国の中は戦国
時代の真っ最中、沿岸諸国は和冠などの海賊が出没し、東南アジアにも貿易で対等
に渡り合う当時の極めて力強い日本人を目の当たりにして、力による征服の勝算が
薄いだろうと戦意喪失してしまったというのが容易に理解出来る。
これが穏便な平安時代や現代だったらどうなんだろう?と思ってしまう。
















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面白かった本などを紹介します。
2005年に読んだ本の中からの紹介です。