NO,025

■ 全身民俗学者

11月

著者:大月 隆寛
出版:夏目書房

この間、とある高名な文化人類学者のセミナーに参加した。
ゼミナーと言っても参加人数数名の厳選?された少人数でのどちらかというと、座談会に
近い大変贅沢なもので、大学の研究室でテーマを軸にディスカッションしているような、
そんな雰囲気の貴重な体験をした。
普段、仕事ではここまで深く追求しないであろう様々な事象を思索する経験は、大変貴重
であり、また、文化人類学者は色々な事を系統立てて知らないと出来ない商売だなぁと、
妙なところに感心もしたし、UKIと同世代のセンセイがこの日本の学問を引っ張ってる
んだなぁとも感じた経験でもあった。

著者は、この高名な文化人類学者とも同じ世代の自称民俗学者である。なぜ自称か?
それは、著者自身が日本にはもはや既に民俗学者は存在しないと言っているからである。
また、著者は以前参加していた民俗学会からも脱会してもいる。だから自称なのである。

この本を読み始めて最初にこのくだりが来たところで、UKIには何やらググッて感じて
まいりました。匂うぞ!!
本を読んでいて、また初対面の方とお話をしていて、この何やら匂い始めるのがUKIに
とって大切なサインなのである。
人は、波長が合うとか嵌るとか言うがUKIは何やら同じ匂いがすると感じるのである。

民俗学は、日々人々の生活の事象を深く探る学問である。
それは、今は伝承されていない事象を古老の話を基に採集する事、形を変えて伝承されて
いる事の元を辿ってその変化と地域による伝承の変形を体系立てていく事、さらに現代の
流行の流れを整理していく事など、最新の今をも含めて常に変化していく学問である。
ところが、今の民俗学は柳田国男という巨星の系譜が有りその系譜を守っていく、いわば
柳田国男学に終始している。いわば、冬の午後コタツに入って昔は良かった何だかんだと
言っても日本は恵まれた良い国だぁ〜とお茶を啜り、蜜柑を食べあう世界らしい。
だから、既に日本の民俗学は死に絶え、その死に絶えた学問の自分は最後の学者なんだと
だから自称民俗学者なのだというかなりシニカルなメッセージを発している。

こういう人、UKIは好きである。
こんな事をメッセージとして発していると、世の中渡るのに色々と摩擦が起こるんだろう
と思うのだが、実際、著者の周りにはかなりの摩擦が発生しているようである。
UKIと同世代の人間は、この歳になると妙な分別が付いたり大人気ないと思われる事に
やたらと恐怖心を憶え、こじんまりとまぁまぁと時として全く説得力の無い説明を吐いて
相手を納得させるのでは無く、自分自身を納得させているような光景に出会う事がある。
そういう面で著者は、「吼える民俗学者」であり「格闘家」でもある。
いいねぇ。人生分かったような顔して過ごすのも処世術かもしれないけど、詰まらない。
丸くなるより、角立ってより深く思索し、摩擦や闘いを恐れない姿勢を持ち続けたいと、
UKIは思うんである。

こんな思いに何かを感じた方には、この本は大変面白い本です。
特に邪道ではあるが、あとがきから読む事をお奨めします。
あとがきを読んだ上で本文を読むと数倍本書を楽しめます。

最後に、どうやらこの国の学問は民俗学より文化人類学のほうが元気があるようである。
学問の体系として文化人類学の分野のひとつとして民俗学が組み込まれていくのだろうか?


















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面白かった本などを紹介します。
2005年に読んだ本の中からの紹介です。