NO,010

■ 駅弁学講座

3月

著者:林 順信 小林 しのぶ
出版:株式会社 集英社

窓を開け、その土地の空気と季節の匂いを嗅ぎながら、ガタゴト揺れる電車の座席で駅弁の
蓋を開けていざ食べるぞ!という幼い頃の思い出を持つ人は少なくなっているんだろうが、
電車に乗らなくとも、どこでも食べられる駅弁の人気はいぜんとして高い。
そんな駅弁に纏わる話を綴ったのがこの本である。

記録に残っているのは戦国時代、さらにそれ以前から伝わっている携帯食「屯食」これが、
外で食べるお弁当のルーツである。江戸時代には、芝居小屋で芝居の合間に桟敷での食事を
提供した「幕の内弁当」や「うな重」、梅や桜の季節には、豪華2段重ね3段重ね、さらに
お酒を入れる徳利と酒杯もセットになった御重弁当が登場する。「遊山弁当」である。
明治時代、鉄道が敷かれるようになると列車の中で移動中に食べる携帯食「駅弁」が登場、
その駅弁も、戦国時代から続く携帯食の流れを受けつつ、おにぎりから出発し、幕の内風、
遊山駅弁風と発展していく。

最初の駅弁は、よく知られた明治18年の宇都宮駅だが、著者の説では明治10年に大阪駅
(梅田)と神戸駅で駅弁が売られていたらしい。
ちなみに最初にお茶を販売したのは静岡駅の三盛軒(現在の東海軒)、最初のお手拭は横浜
駅の崎陽軒なんだって。

また本書では、現在の名物駅弁の成り立ちについても詳しく書かれている。
戦時中食糧難でお米の配給が減り、当時沢山獲れた烏賊で増量したのが「烏賊めし」
静岡の大火焼き出され、熱気を吸って呼吸器を痛めて病の床についていた弁当屋のご主人を、
気の毒に思い名物のアマダイを差し入れてくれた河岸の魚屋。そのアマダイをそぼろにして
食べていた弁当屋のご主人、ある日鉄道関係の知り合いの方が孫を連れてお見舞いに来る。
その孫が、弁当屋の食べていたアマダイのそぼろご飯を大喜びで平らげる。これはいけるぞ
と誕生したのが「鯛めし」
特色のある駅弁をと考えていたところに、あちこちの駅弁屋に持ち込むも断られ続けた益子
焼きの弁当容器を持ったセールスマンが訪れる。ピンと来た姉妹の弁当屋、在庫を持つ事を
条件に独占して他では出さない契約を結ぶ。これが「峠の釜飯」
ちなみにこの誕生秘話には余談があって、当時駅弁の値段には上限がありこの駅弁、容器代
の分値段が高くなり採算を考えるとその上限を超える事となる。これでは販売出来ないのだ
が、当時の駅長がこの駅弁をいたく気に入り独断で販売する。ところがこれがバレて販売が
延期となる。再開の後評判となり現在に続いている。

人に歴史あり、駅弁繁盛記なんてタイトルでそれこそ沢山小説のネタになりそうである。
こんな駅弁学の様々な知識が満載の本だが、駅弁評価の中で面白い項目を見つけた。それは
駅弁の容器の処理方法に関してである。
まず、不燃ゴミか可燃ゴミか?可燃ゴミの場合、その焼却発熱量がいかに少ないかといった
評価である。この本の発行が2000年、京都議定書がまとめられたのが1997年だとは
いえ、当時環境に配慮する事を評価ポイントとしている点に注目される。
たしかに弁当容器は使いすてである。駅弁ならずとも、今流行りの様々な弁当の評価で味や
価格以外での評価といった事はあまり聞かれない。これは、弁当を食べる際に考えなくては
ならない点であろうと思う。
ちなみに「峠の釜飯」、お店に食べた後の容器を持ち込むと引き取ってくれる。それをまと
めて砕き、益子の土に返るんだそうです。知ってたぁ〜?

ところで、この本途中で語り口が変わる。
前半は、駅弁の歴史や駅弁に纏わる薀蓄満載である。後半は、駅弁屋に突撃取材をし、人や
新しい駅弁の話、駅弁の顔ともいえるお米の話など躍動感ある生の現場の雰囲気が伝わって
くる。前半の著者は林氏、後半は小林氏が担当している。
駅弁でいえば、二段重ねの豪華弁当のような本である。

こんな本を読んでいると、自動車での旅行も良いけれど、時には列車に揺られて食べる駅弁
の旅行もしてみたくなる。













前のお話へ
次のお話へ


空の写真 今月の本(2007)
面白かった本などを紹介します。
2007年に読んだ本の中からの紹介です。