一万年の天皇

NO,011

■ 一万年の天皇

3月

著者:上田 篤
出版:株式会社 文藝春秋

数少ない天皇制について書かれた本である。
また、天皇制を題材にした日本の潜在的思想史の本であるとも言える。

本書は古より続く日本の歴史の中で、少なくとも1200年以上続く天皇家の系譜とそれが
現在まで持続している背景として、ヒコ・ヒメ、スメラミコトからオオキミ、ミカドに至る
天皇の呼称の変化、伝承されるツマドイという婚姻形態など民俗学的見地から見た天皇制を
維持し、核と据えた日本人の思考基盤について述べている。

本書の理論の進め方について歴史には基づいてはいるが、著者の日本人としての思想が基盤
にあり、その意味では、事実に基づいた私的史観の歴史書ではある。
全てそうかと納得する必要は無いし、そういうロジックの元そういう見方もあるんだぁと、
感じれば、それはそれで新たな視点を発見出来る歴史書でもある。

ところで、著者の本業は建築家である。
その著者が、なぜ本書を書こうと思ったか?その理由があとがきに書かれている。
阪神淡路大震災の時、関西在住の著者は建築家の立場で現場を確認したいと徒歩で40km
を歩き震災現場に向かった。現場の惨状を専門家の目で確認した。
なぜ、多くの犠牲者が亡くなったのか?専門家の立場で分析した結果、関西ガスが災害時に
すぐガスの供給を止めず、同じく電力供給を止めなかった関西電力の切れた電線のショート
により被災後火災が発生し、それが原因で死者の8割が亡くなったという結論に達した。
これを東京の新聞社の求めに応じてコメントしようとするが、復興をスローガンに掲げる社
は、このコメントをボツにする。

阪神淡路大震災の後、危機管理に関わる仕事をUKIもした事があるが、その時感じたのは
著者の言っている事とさらに当時の首相の対応と決断の欠如にある。今でもUKIは震災で
亡くなった半数の人は、この首相に殺されたと思っている。
でも、こんなコメント聞いた事がない。
当時の政府は、ひょんな事から生まれた初めての革新内閣であった。
自衛隊の存在自体を否定している内閣が、緊急時に自衛隊派遣を決断するのに躊躇した。
当時、危機管理という言葉すらもなかった。まさかの事を想定する事自体それを望んでいる
とも取られる風潮が日本にはある。この時期、内閣を任されたのは当人にも日本にも不幸な
事であった。

ともあれ著者はその阪神淡路大震災の際、強く感じた事、事実を事実として伝えない日本の
体質について、なぜそうなったかを考える末、辿り着いたのがきちんとした歴史を伝えない
今の風潮にあると感じるようになったのだそうである。
さらにいつの時期から、日本の歴史と文化の分断が起きたのかについても語っている。

この本を読むと著者の信念というものが伝わってくる。
このままで良いのだろうか?という思いと今自分が言わなければという思いが伝わってくる。

最近、歴史の専門家=歴史家以外の方が書かれた歴史の本が多い。
その多くが、なぜ自分が歴史本を書いたのかの経緯の中で、日本の歴史家が文献主義であり
文献研究家になっている事を指摘している。本書もそうである。
歴史の方向性として、地理的環境・外的動向・思想・宗教・人口動向などの物には書かれて
いない科学的に割り出された事実とそれを補助する文献を基に組み立てていくのが歴史科学
である。当時は、全ての人が書を読むことも書くことも出来る時代ではない。一部の人々の
書かれ読まれた文献は、自ずと偏った情報である事を念頭に歴史を判断するのが当然である。
しかるに、その偏ったであろう文献を第一義に据えている今の歴史学の在り方には、疑問が
残る。
しかるべきして歴史本を読む際、ついつい歴史の専門家以外の方の歴史本を読んでしまう。

ところで、何で天皇制について書かれた本が少ないんでしょう。
日本人は、本質的な事を議論する事を嫌がる人種なんでしょうか?まあ日常生活に関係ない
と言ってしまえばそれまでではあるが、制度として世界の中でその歴史と継続性において、
他には無いものである。その事について当事者である国民として、どう思うかどう考えて
いくのか、その成り立ちと現在の在り方についての見解をひとりひとりが自分の意見として
持っているのが当たり前だと思うのだが・・・
そういう事を考える際の歴史的知識や情報、議論する場を提供する本って少ないね。













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空の写真 今月の本(2007)
面白かった本などを紹介します。
2007年に読んだ本の中からの紹介です。