NO,012

■ 日本の農書

4月

著者:筑波 常治
出版:中央公論社

農書とは、農業技術の指導書の事である。
世界では、紀元前から存在しているいわば産業技術書であり、農業は第一次産業といわれる
ように最初の産業である事から、その技術書は早くから存在していた。
では、日本ではどうか?
本として残っている日本で最初の農書は、戦国時代四国で没落した豪族土居氏が残した書の
一部であると本書は綴っている。土居清良という名君と呼ばれた人物の業績を記録として記
した「清良記」第7巻「親民鑑月集」というタイトルの本である。ちなみに「清良記」は、
全30巻あるが、後世取り上げられているのは、日本で最初の農書であるこの第7巻のみで
他は、殆んど世に伝わっていないんだそうである。

そんな世界から比較すると書として世に出たのが大変遅れた日本であるが、その後の農書の
発行はというと、薬学を主体とした本草学の一部として世に出されていく。
ちなみに、江戸時代初期の元禄時代までは全て写本として世に出されていく。版画印刷本が
生まれるのは元禄以降となる。

ちなみに、写本での農書はどんなものがあったか?以下に記すると
清良記     著者:土居水也
百姓伝記    著者:不明
会津農書    著者:佐瀬与次右衛門

次に版画印刷本では?
農業全書    著者:宮崎安貞
菜譜      著者:貝原益軒
農業類語    著者:陶山吶庵
田法記     著者:岸崎佐久治
隣民撫育法   著者:西山六兵衛
地方竹馬集   著者:平岡直之?
若林農書    著者:若林宗氏・利朝
才蔵記     著者:大畑才蔵
民間省要    著者:田中丘隅
百姓袋     著者:西川如見
勧農固本録   著者:万尾時春
田園類説    著者:小宮山昌世
農家貫行    著者:蓑笠之助
県令須知    著者:谷本教
地方落穂集   著者:武陽隠士泰路
農隙余談    著者:利根川教豊
地方凡例録   著者:大石久敬

いやいや、元禄以降は沢山全国で出版されていきます。それも農業全書が大ベストセラーと
なったおかげと、世の中が落ち着き人口も増え農作物を増産しようという勢いからか。
蛇足ながら、全国的に広まったベストセラー農業指導書としてはこの「農業全書」が最初で
ある。写本では、一部の人にしか伝わらなかったのである。

ところで、本書は農業技術書の成り立ちを知る上で大変参考となる本であるが、その農書が
生まれる背景についてもなかなか面白い掘り下げをしている。
例えば、「清良記」を始めとした写本の著者や取り上げられている人物の多くは、武士から
郷士になった人達である。
江戸初期、世の中が平和になりあぶれた武士の大リストラがあり、不本意ながら農業をやる
事となった人達ばかりである。自分は武士であるという誇りから農業指導をしなければなら
ないといった使命感と、世に名を残したいという悲願から農書を著したのであろうと著者は
推測している。
曰く「名著は悲しみから生まれる」という言葉を著者は使う。
読者を感動させる名文は、逆境において書かれる確率が高いという意味だそうである。
書くという行為は訴える行為でもあり、現在の境遇に満足している人はどだい訴える気持ち
にはならない。そういう人の書くものは、自慢ばなしになりがちで読者は感動よりも反感を
持ちやすいという事なんだそうである。
う〜ん、そうか!?と妙に納得する説である。

そんな逆境にあえぐ人達が農本を出版するについても、様々なエピソードがある。
農業全書の宮崎さん、とあるきっかけで貝原益軒と親交を得る。貝原益軒は、当時の著名な
文化人でもあり、ベストセラー作家でもある。
その益軒が宮崎安貞の草稿を見て、これは世に出す本にすべきだと版元に売り込む。
版元はより確実に売れるようにと益軒に序文を求め、益軒の兄楽軒が著者にする事となる。
現在、貝原益軒の評価は高いがその兄楽軒の評価は低い。当時は有名人だった楽軒、添削に
乗り出すが本来興味のある分野でもなく本業でもない。しばし手を掛けるが途中で放り出す。
もし、楽軒がこのまま続けていたら宮崎安貞の名も世に出る事は無く、またその本の中身の
評価も高くはなかったろうと思われる。

農書という題材を主軸として様々な人間模様が見えてくるそんな本である。
人文学というのは、こういうところから始まっていくんでしょうね。きっと。

さて、江戸時代の三大農学者とは?
農業全書を著した宮崎安貞、多くの実地的な書を著した大蔵永常、異端といってもいい人物
佐藤信淵である。
大蔵永常は、全国を廻りその土地土地に適した農業技術を採取し分かり易い言葉で著した。
生前にその多くの著作が発刊された。
佐藤信淵は、その時代によって評価が異なる。
四代に渡って優れた学者を輩出した家柄であると自らでっち上げ、先祖が書いたと称した本
もどうやら全部自分が書いたらしい。また本の語り口も尊大で独善的なもので読む人に抵抗
感を与えるものらしい。しかし、もし全て自分が書いたのならその旺盛な執筆力は凄まじい
ものがある。また、その内容は普遍性を目指している為に実践にはまったく役に立たない本
だが、思想書として見ると万物の真理を探求した内容になっているらしい。
この方残念ながら、生前には本は発刊されずに大蔵永常とは好対照である。

最後に、日本の農書における最大の功労者として明治の織田完之がいる。
明治政府農商務省に勤める同氏が近代農業指導書をまとめるに際して、当時の風潮であった
西欧文化を取り入れ、それまでの日本の書物を抹殺していたら日本の農書の存在はなかった
と著者は著している。日本の風土にあった伝統の中から取り入れるべきものは取り入れよう
とする姿勢が今の日本の農書の保存に貢献している。













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