報道被害

NO,015

■ 報道被害

5月

著者:梓澤 和幸
出版:株式会社 岩波書店

ここのところ気になる事がある。マスメディアの報道の仕方である。
多くの人に様々な事実を伝えるという事が報道の在り方だと思うのだが、限られた紙面や
放映枠時間の中で、事実の一部や事実の断片の組むあわせによる誤解されかねない情報
や時として事実と反する内容が、マスメディア化する事で一斉に多くの人の目に触れる。
メディアの影響は大変大きい。
また、メディア側も事実を伝えるその裏側に主張を伝えるという意義を持っている。
かつてのメディア論として「メディアはメッセージである」という有名な言葉があった。
正にメディアの本質を突いた言葉だと思う。

報道には、本来の意味としてジャーナリズムという事がある。
また、メディア産業には収益性を求められる。
その両方の意義をうまく成立させなくてはならない。
また、さらにメディアにはその影響力を生かしてコンセンサスを取りまとめられるという
特殊性もある。これは、暴走するとプロバカンダであり率先する者は、勘違いを起こす元
ともなる。曰く「私達が指導しているんだ」と。

さて本書だが、
収益性を考え、スクープを求め、とはいいつつ限られた情報源と限られた締め切り時間に
追われる取材体制から、時として事件被害者やその家族の誤った情報が伝えられその結果
被害者やその家族が、社会から追われ、精神的・経済的苦痛を味わい最悪のケースとしては
自殺に追いやられる「報道被害」に対して立ち向かっている弁護士の方が綴っている。

多くの報道被害は、警察の憶測やそれを主な情報源として限られた締め切り時間と他社に
出し抜かれないようにとの意識か、または報道人としてのモラルの低下か裏づけを取らず
に報道していまう事による。
被害者は、訴えようにも警察や、それを本来は注意深く見守っているはずの報道を相手に
しなければならない。その声は闇に封じ込まれてしまう。
これは、事件に巻き込まれる事と同様にいつ誰の身にも降りかかる事である。
さらに、これは事件に巻き込まれる事以上に大変な災難でもある。警察も報道も相手には
してくれないんだから・・・・

そのような事象に対して、出口の見えない交渉を丹念に行っているのが、著者の弁護士と
しての仕事のひとつである。
その仕事の結果、救われた何人かの被害者がいる。
もし、万が一、自分が被害を被った時、どこに相談すればいいのか?と絶望の淵に立った
なら、本書はその時救いの神となるでしょう。

事実と真実とは違う。
ここのところのニュアンスを報道人はしっかりと持つべきである。
ちなみに、誤って取り上げられた報道内容を訂正し、どこに問題があったのか報道自社で
検証しそれを報道する時間は、間違って伝えられた報道時間よりも明らかに少ない。
この事実は、変えられないだろう。













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空の写真 今月の本(2007)
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2007年に読んだ本の中からの紹介です。