NO,010

■ ラーメン屋の行列を横目にまぼろしの味を求めて歩く

12月

著者:勝目 洋一
出版:朝日新聞出版

あんまり長いタイトルの本ってあまり好きではない。
コラムで紹介する際になかなか枠に収まらないからである。
でもこの本は、パっと開いたページの数行を読んだだけで気に入ってしまった。

「食べる事」を文章に書くのは、なかなかの名文筆家でなくては大変である。
過去これは!と思った「食べる事」をうまく描いている作家は、内田百閨E井伏
鱒二・開口健・池波正太郎の四人くらいしか印象に無い。
著者の語り口は、その先達と同じ匂いがする。

よく考えてみると、上記の作家が「食べる事」を書き出したのは中年半ばからで
ある。食について書くという事は、様々な事を経験し有るある程度年齢が至って
からしか相手に伝わる文章は書けないのかもしれない。
そういう意味で著者の語り口は、大人の一種抑えた重みのある文章である。
最近、こういう文体ってなかなか無いよね。

一種抑えた重みのある文章ではあるが、時々、思わず笑ってしまう箇所がある。
例えば、著者は冷麺が苦手なんだそうである。
嫌いなのかというとそうでは無くて、好物らしい。
では、何故苦手か?
幼い頃、輪ゴムを噛んでその食感にパニックになり「うひっや〜」と唸る。
以来、この食感が快感となりこの食感を感じると我慢していてもこの声を発して
しまう。故に人前では冷麺が食べられないので辛いんだそうである。
まるで、我が家の猫と同じである。
幼い頃に刷り込まれた味と食感は、生涯忘れないらしい。
それが天然の魚と養殖の魚の味の違いが判る事に繋がり、はたまたゴムのような
食感に「うひっや〜」となる。
重みのある文章ではあるが、時々軽みを挟んでくるのが本書の良い旋律となって
いる。

ところで、本書は今は食べる事が出来なくなった「まぼろしの味」の残骸を探し
昔のお店を訪ねたり、もう閉店してしまった店の当時のエピソードを伝えながら
その味の雰囲気を伝えている。
この本を読んで驚いた事に、もう香港では鼠ハタが獲れないとか、小柴の蝦蛄が
禁漁(最近解禁になったそうです)になったとか、名物がどんどん死に絶えて、
いくのを知った。

初めから食べた事が無い人にとって、その物自体が無くなり本来とは違う代用品
だけしか流通しなかったとしても、初めから食べた事が無い味を知る訳が無い。
また、代用品で刷り込まれた味が、その人にとっては「本物の味」になる。
それが良い事なのか、悪い事なのか?
きっと次の世代でも同様の「食の変化」は起こるであろうから、これは仕方無い
事なのかも知れないが、懐かしい味への郷愁か、若い人と食の話で会話が成り立
たない中年のあがきか、はたまた「昔は良かった」的なお前ら知らないだろうと
いった上から目線なのか?と著者は自問自答しながらも「それは違うだろう」と
言いたいようである。
さて、何処が違うのか?
これは本書を読んだ人が、各々個人的な経験を踏まえた上で考えてみて欲しい。




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