カンボジア絹絣の世界

NO,011

■ カンボジア絹絣の世界

  7月

著者:森本 喜久男
出版:日本放送出版

カンボジアに行ってきた。アンコールワットを見る為である。
その思いだけでカンボジアに行ったので、カンボジアの見るべき
ところや様々な事情・事前情報などを調べる事もなかった。
まあ一応はガイドブックを見たのだが、寺院の写真ばかりであまり
興味を引くものがなかった。

カンボジアに着いて、何日か滞在した中で気が付いた事がある。
まず、第一に街が思っていた以上に綺麗だという事である。
綺麗といってもぴかぴかの綺麗ではなく、掃除が行き届いている
事である。
東南アジアは、汚いとのイメージを持っていた。

実際、掃除がきちんとされていない国を見た事もある。
日本が、特別に綺麗な国だと昔から言われているように、その
視点で見れば、アジアはあまり綺麗では無いのかもしれない。
が、アジアでも旧フランス領だったところは、街並みも掃除も
比較的綺麗との印象を受ける。
カンボジアも旧フランス領である。
トイレにも、日本以外では初めてみたトイレシャワーが付いて
いる。尤も日本のような形状では無く、まさしく小型のシャワー
の形をしているので、最初はトイレ掃除用のシャワーかと思った
くらいである。
(注意書きで頭を洗うなとイラストで描いてあったのは笑ったが)

また、同じアジア圏の人々とは違う印象を受けたのが、目の輝き
である。
他のアジアの人々の目は、時としてぎらぎらする程輝いている。
その輝きが元気をもらう元となる為、その元気をもらう為にアジア
旅行をしているようなものなのだが、カンボジアの人々の、目の
輝きは、穏やかでちょっと拍子抜けしてしまう程だった。
これは、逆に言えばぎらぎらしていない穏やかな人々なのだろう
と思われる。
仏教国のせいか、挨拶の際に手を合わせる習慣が何故か心を穏やか
にさせてくれる。カンボジアは、そんな国である。

で、カンボジアから帰った後で、今更ながらカンボジア関連の本
を探していて読んだのは本書である。

著者は、京都西陣織の手描き職人だったのだが、ある縁からユニ
セフの依頼でカンボジアの絹織物の実態調査を行う事となった。
その調査のさなか、タイの博物館で見たカンボジアの古い絣織に
魅せられて、カンボジアシルクの復活とカンボジアの新たな雇用
を生む活動を行う事となる。
そんな著者の行動に大変興味を持って一気に読んでしまったのが
本書である。

著者が、在野でNGO的な困難な事業を続ける原動力は何である
のか?本書を読んで感じるのは、質の良いシルクとそれを上質の
織り手が織る事で、美しい織物が出来る事がすたれてしまう。
それをきちんと残す事が出来るのは、自分しかいない。
これが自分の使命であり、自分自身の存在価値だという思いなの
だという事である。

本書では、カンボジアシルクの復活までの道のりと、自然染めと
手織りの価値について詳しく書かれている。
その結果、カンボジアシルクはクメールの人々の文化であり芸術
であり、本物の良さを判る世界中の人々が、手に入れたいと思う
ようなカンボジアが誇る、工芸品にまでなった。
また、カンボジア内での継続可能な養蚕と機織り、そしてカンボ
ジア人による販売、また、機織り職人の育成や子供が職場に一緒
に居られる環境作りや、働く人々の技術と目標に対応した、給料
体系、さらには、働く全員に対して売上経営状況などがオープン
となった環境など、これからの企業のあり方として、見習うべき
事が多くある。
ここにはファストファッションとは正反対の世界が拡がっている。

ところで、本書や著者の事業を紹介しているホームページを読ん
でいて著者の思いが顕れている印象に残る言葉がいくつかあった。
曰く、
織り手の心が反映されていない織物は、たとえ手織りだとしても
本物の手織りとは言えない。
天然染料であろうと化学染料であろうと、短い時間で染めたもの
は、色落ちも早い。
自然の中で循環し、継続可能な生産体制を組む事が出来る、天然
染料に比べて、人体に害を及ぼす化学物質を使った化学染料は、
人が受け入れられる物として将来的には継続は困難だと思われる。
皆、深い意味を持った考えさせられる言葉である。

ちなみに、カンボジアシルクの工房でもあり、ショップでもある
IKTTはシュムリアップにある。今度カンボジアに行く時には、
ぜひ立ち寄ってみたい。






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面白かった本などを紹介します。
2014年に読んだ本の中からの紹介です。