食文化の中の日本と朝鮮    

NO,010

■ 食文化の中の日本と朝鮮

 12月

著者 鄭 大肇
出版 株式会社 講談社

隣り合った日本と朝鮮、古より、互いの交流から様々な物が相互に
伝わっていった。そんな互いに伝わった物を食に限って、どのよう
に伝わっていったのか?丹念に調べてまとめたのが本書である。

まず焼肉とキムチと辛子明太子。

蒙古の支配を受けて肉食が広まった朝鮮、その後、肉食を禁止した
仏教から儒教を大切にしたおかげで、肉食文化が定着する。これに
比べて仏教を中心とした日本は長い間、肉食文化は一般的には禁止
されていた。
明治維新となり、西洋化の中で肉食文化は復活したが、その食べ方
は鍋料理だった。しかし、戦後の食糧難の時代、関西を中心として
暮らしていた朝鮮人は、今までは日本人が捨てていた内臓肉を料理
して餓えを凌いだ。
その様子を真似たのが今の焼肉のルーツと考えられると著者は言う。
朝鮮人は、蒙古が牛や馬を捌いて内臓肉まで無駄なく利用したのを
目の当たりににしていて、昔から内臓肉を上手に利用していたから
である。

元々キムチは、漬物全般の総称である「沈菜」チムチェに由来する。
1980年代後半の激辛ブームで一気に浸透した。

辛子明太子は博多名物だが、元々明太はスケトウダラを指す朝鮮語
である。日韓併合時代に、北朝鮮で獲れたスケトウダラを加工した
のを、博多経由で日本に流通させていたが、戦後、北朝鮮から物資
が入らなくなり、博多で加工したのが、今日の辛子明太子である。

次は厨房道具。
釜は朝鮮語のカマ、またはカマンソッ。カマンソッは竃に繋がる。
そして、近畿地方では竃の事をくど、またはおくどはんと呼ぶが、
朝鮮語のクルドクは煙突の意味である。
また、蒸籠は朝鮮語でもシリと言う。
さらに、正倉院の宝物にある佐波里、サハリと呼ぶ容器があるが、
朝鮮語でも「砂鉢」と書いてサバリと呼ぶ。
匙も朝鮮語では「砂匙」サシと呼ぶ。

このように、日本の食事の大切な基本部分が、朝鮮半島と繋がって
いる事を著者は著している。そして、著者が日本と朝鮮が食文化と
関連しているとして、すし、酒、漬物、ニンニク、豆腐、陶磁器、
トウガラシ、朝鮮人参について考察している。
その中で、UKIが特に興味を持ったのが、豆腐と唐辛子のふたつ
である。

まず、豆腐。
土佐に極めて固い豆腐がある。朝鮮の豆腐も極めて固い豆腐である。
なので、朝鮮との関連を調べるべく、著者が高知県に出向き、土佐
料理研究家の方を訪ね、「皆山集」という明治初頭に郷土史家の方
がまとめた書物を拝見させて頂く。
そこには、朝鮮出兵の頃に当時の大名、長宗我部元親が、朝鮮より
地方の長官だった朴好仁を日本に連れ帰り、庇護の元、豆腐を作ら
せる。そして、朝鮮から連れ帰った人達を中心に豆腐座を作らせ、
独占的に販売をさせた。
なので、土佐の豆腐は、藁紐で吊るしても崩れない程固い、朝鮮と
同じルーツの豆腐なのである。

また唐辛子は南蛮から日本に入り、さらに日本から朝鮮に伝わった   
とされるが、正確には南蛮から九州に伝わった唐辛子が朝鮮出兵の
際、朝鮮に伝わり、朝鮮の地で唐辛子を見た九州以外の日本の大名
が持ち帰ったものらしい。

案外と身近な所で、朝鮮と日本は繋がっているなぁ〜と感じた一冊
である。








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