ポパイ物語    

NO,009

■ popeye物語

 11月

著者 椎根 和
出版 株式会社 新潮社

「70年代の後半、雑誌ポパイは僕らの暮らしのお手本だった。」
「雑誌ポパイ」風の出だしとなってしまったが、かつて、高度経済
成長がピークに掛かりバブル直前、日本で生まれた若者向けの雑誌
が、今も発行を続ける「雑誌ポパイ」である。今の50代60代の
男性の多くは懐かしく感じる人気の雑誌である。
出版は、既に若者向け雑誌「平凡パンチ」を発行していた平凡出版、
今のマガジンハウス社である。

ベトナム戦争後、アメリカはヒッピー文化と反戦運動が下火になり、
明るく健康で、世の中を深刻に考えない若者文化に変化していた。
そんな新しいアメリカの今を日本の若者に伝えたいと、創刊された
のが、この「雑誌ポパイ」であった。

今までの日本の若者雑誌にあったヌード写真、スキャンダル記事、
マンガ、暴露記事を排し、その代わりに人生をいかに明るく過ごす
かを、物質主義の観点から描いた。これから成長するブランドや、
アーチストや海外のリゾートや都市を発掘していった「雑誌ポパイ」
は、若者に受け入れられ発行部数を伸ばしていった。
この雑誌の成功により、同じ出版社より後から発行された雑誌の
「ブルータス」や「オリーブ」「 HANAKO」や他社のライバル
雑誌が続々発行される。それは、今に繋がりいわゆるモノマガジン
として、雑誌のカテゴリーの中で大きな分野のひとつとなっている。

そんな「雑誌ポパイ」の発刊からを、創刊当時からの重要スタッフ
だった著者が綴ったのが本書である。

当時は常識だった、取材する取材者と書き手のライターは、別々の
分業制を止めて、取材者が自分で記事を書く体制にし、記事により
臨場感を与えたりとか、ライターは社員ではなくフリーライターや
他誌の記者や文才のある学生に任せ、文体を常に変化させていたり
とか、新しい手法を取り入れていた。その新鮮さが、当時の若者に
受け入れられていった。

この「雑誌ポパイ」の特徴として、当時あまり有名ではなかったが、
後にメジャーになったブランド、アーチスト、海外のリゾートや街
などを発掘する能力に長けていた事が挙げられる。
このブランドも、このアーチストもかとその数は驚く程多い。

また、当時のおおらかな風潮も伝わってくる。
入稿締め切り間際には毎回徹夜が何日も続き、皆、体育会系の大学
のクラブの合宿のように仕事をこなしていく。また深夜残業が多い
ので、帰宅するためのタクシー券が配られたのを、知人にあげたり
など、今では考えられないような事が行われていた。
大変でもやり遂げる、細かい事は気にしない、若くて明るい力強さ
が伝わってくる。高度経済成長期からバブル直前の頃の、一番元気
があった時代の若者雑誌のお話しである。

ところで、各所で時代の兆しや、今は有名となった人達が登場する。
本書を読んでいて、思わず映画「フォレストガンプ」を思い出して
しまった。








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